Burtonチームへようこそ: 平野海祝
7.4m……!?
オリンピックでは誰よりもメダリストが称賛を受け、注目の的になります。世界的ビッグイベントで表彰台に上がるということは、それだけ大きな意味を持っているのです。某人気コメディ映画のなかで、ウィル・フェレル演じる主人公のリッキー・ボビーはこう言いました。「1着じゃなければ、それはビリと同じだ」と。しかしながら、男子ハーフパイプ9位という結果にも関わらず、世界中のスノーボーダーから大絶賛され、表彰台以上のインパクトを残したライダーがいます。そう、平野海祝です。
1つでも順位を上げようと回転数を増やすのではなく、彼は自身が最も得意とすること、つまり誰よりも高く飛ぶことを選びました。結果7.4mという世界記録を叩き出し、世界中にスノーボードの本質を見せつけたのです。「成績だけが全てではない」ということを多くの人たちに伝えてくれたのです。
昨シーズンは初出場となったX Gamesでも銅メダルを獲得し、今季、満を持してBurtonチーム入りした平野海祝。スノーボードに対するアツい気持ちやスタイリッシュなアプローチは、FISのポイントに反映されるものではありませんが、みなさんに伝えるべきものではあります。では、海祝の想いが詰まったインタビューをご覧ください。
まず、スノーボードを始めたキッカケを教えて。
キッカケは、兄ちゃん(歩夢)が出ていたソチオリンピックですね。当時は12歳で、まだオリンピックのすごさをわかっていなかったんです。でも、地元のパブリックビューイングが超盛り上がっていて、そこでみんなと一緒に見た兄ちゃんの滑りに刺激を受けたんです。それからですね、本格的にスノーボードを始めたのは。
2人のお兄さんはソチオリンピック以前から活躍していたわけだけど、自分もスノーボードをやろうとは思わなかったの?
2人に対して厳しい父親を間近で見ていたこともあって、自分から積極的にスノーボードをやろうとは思わなかったんです。普通に学校へ行って、帰ってきたら家でゲームをして、週1くらいでスケートボードをするっていう生活でした。あの頃から兄ちゃんたちは海外でも活躍していたみたいですけど、自分はスマホも持っていなかったので、なかなか見る機会がなくて。実は、2人のすごさを理解していなかったんですよね。
本格的に始めてからは、どんなスノーボードをしていたの?
ソチオリンピックを見て、本気でスノーボードをやろうと決めてからは、雪の日も雨の日も毎日のように地元の横根スキー場へ通いました。横根スキー場がクローズしたら、雪が残っている北海道へ行って練習していました。当時はハーフパイプばかりだったんですけど、自分のルーツはフリースタイルにあるんです。横根スキー場の隣にある小さなスキー場で、ジャンプやボックスで遊んでいた時代もあったんですよ。本格的に始めてからは、それができなくなったことに少しストレスを感じていたかもしれませんね。
1年で900までを習得できたのは自信につながりました。
その頃の出来事で、特に思い出に残っていることってある?
なかなかクリップラーができなかったことを覚えています。派手にコケては背中に雪が入って、寒いし痛いしで良い思い出じゃなかったです。でも、本格的に始めてからの1年でかなり成長できたんですよ。
自分がスノーボードを始めた頃は、年下の子が900や高難度トリックを普通にメイクしていたんですけど、自分も1年で900までを習得できたのは自信につながりました。当時はキャブ1080が流行っていたので、自分も憧れていたんです。あまり1発でできるようなタイプじゃないんですけど、14歳のときにさっぽろばんけいスキー場でトライしたら1発メイクできたんです。それが大きなモチベーションになって、「大会で戦えるかも」という希望が見えてきたのを覚えています。
スケートボードってスノーボードにも影響ある?
小さい頃はスケートが嫌いだったんですけど、ここ3年くらいで本気で好きになりました。毎日のようにスケートをするようになってから、スノーボードの調子もすごく良いんです。
スノーボードはダイナミックな動きが多いんですけど、逆にスケートは細かな動きが重要で。(スノーボードで)指先までスタイルを意識できるようになったのは、やっぱりスケートの影響が大きいのかなって。以前より器用になったというか、どんなコンディションのハーフパイプにも対応できる自信がつきました。
スノーボードの映像も見たりする?
スノーボードを本格的に始めてから見るようになりましたね。兄ちゃんたちだけじゃなくて、國母和宏くんや平岡卓くんだったり、ショーン・ホワイトだったり、US Openもライブで見て興奮していました。昔のビデオだったらヘイキ・ソーサとか。彼らが活躍していた時代から、今も価値観みたいなものは変わっていないと思うんです。
これからは、より一層「人と違うこと」「誰もやらないこと」が評価されると思っています。進化した現代のギアで、スタイルのあるカッコ良い滑りをする。それが今の目標です。
以前からオリンピックに出たいという気持ちはあったの?
どっちかって言うと、昔の方がオリンピックに対する気持ちは強かったかもしれません。ただナショナルチームへの憧れはあったので、ナショナルチームのステッカーを貼れた瞬間は、「日本代表だ!」みたいな感じですごく嬉しかったです。
北京オリンピックでは、特大メソッドが話題になったよね。
あのときはマジで気合いが入っていました。オリンピック直前のX Gamesも同じような感じでぶっ飛べたんですけど、オリンピックはそれ以上でしたね。コンディションも完璧だったし、ワックスマンを含めまわりのサポートや応援もあり、普段の120%くらいの力が出せました。もちろんプレッシャーも感じてはいたんですが、良い意味で緊張感があって最高の状態でした。他のライダーもいつもとは違う気合いの入り方で、「やっぱり特別な舞台なんだな」って。
特別な場所で「誰よりもカマしてやる!」と思ってドロップして、結果として世界記録が出せたのには満足しています。ただ、これからもっとヤバいライダーが出てくるかもしれないし、常にハイエストエアは更新していきたいですね。
個人的には、回転数だけが評価の対象じゃないような大会に出たいです。
やっぱり記憶に残る滑りをしたい?
そうですね。個人的には、回転数だけが評価の対象じゃないような大会に出たいです。
例えば、とにかく迫力があるエアを見せたり、高さもありつつ技術もなきゃいけないみたいな。最低でも1発は回しちゃいけないってルールがあったうえで、高難度なトリックもあるみたいな大会とか。あとは、クォーターパイプやAIR MIXみたいな大会にも出たいですね。
とにかくデカいのをカマしたライダーが勝ちっていうシンプルなルールだったら、技術が追いつかなくて上を目指すのを諦めた人も活躍できると思うんです。そういうイベントが増えてくると、またおもしろいシーンになるのかなって。
ところで、歩夢と一緒に滑ることはあるの?
最近は一緒に滑りますよ。自分がスノーボードを始めたばかりの頃って、兄ちゃんは海外ばかりで滑っていたし、あとは東京オリンピックでスケートに集中していたこともあって、ほとんど一緒に滑ることはなかったんです。
でも、この1〜2年は結構一緒に滑っていますね。オリンピックが終わってからは、2人でカッパーやマンモス、バルドフェイスに行きました。ほとんどはパイプの練習ですけど、たまにバックカントリーに行ったりジブをやったりもします。お互い「絞れてる?」とか「ちゃんと前足に乗れてる?」とか研究しながらやっていますね。
「ここだけは歩夢に負けない」ってことはある?
自分は勝負とかあまり好きじゃないんですが、強いて言うなら高さは負けたくないですね。でも、兄ちゃんは超負けず嫌いなので、自分が「負けない」なんて言ったら絶対超えてくるんですけどね(笑)。兄弟のなかで、スノーボードに対する想いは自分が一番強いと思っています。ただ、楽しいことばかりを追求しちゃうと競技で勝てなくなってしまうので、そこは兄ちゃんの姿勢を参考にしたいです。昔の大会はセンスや勢いで勝てた部分もあるかもしれないけど、今はちゃんと努力をした人が勝つようになっているので。
自分にとって、歩夢はどういう存在?
一緒にいると安心するというか、一番信頼できる存在ですね。オリンピックだって兄ちゃんがいたからがんばれた部分もありますし、X Gamesで一緒に表彰台に上がれたのは本当に嬉しかったです。
ついに正式加入したBurtonチームだけど、他のライダーたちの印象は?
Burtonは、今も昔もカッコ良いライダーが揃っていると思います。この春、バルドフェイスでマーク・マクモリスやダニー・デービスと一緒に滑ったんですが、彼らはスノーボードだけじゃなくてライフスタイルもカッコ良い。これからはBurtonらしさを継承しつつも、自分らしいスタイルで盛り上げていきたいと思っています。
今後、どんなスノーボーダーになりたい?
今19歳なんですが、大会に集中できるうちは大会をメインにやっていきたいと思っています。ハーフパイプをメインに滑っていたライダーの多くは、大会を卒業するとバックカントリーに舞台を移し、映像の世界で活躍するというのが一般的ですが、自分はスノーボードの全ジャンルを極めたいんです。ジャンプもジブもバックカントリーも、全てでトップレベルの滑りをしたいんです。スノーボードが大好きだから全部やりたいし、上手くなればなるほど楽しくなるんです。
最終的なゴールは、昔自分が憧れたライダーたちのように、憧れの対象になるライダー、そして世界一スノーボードが上手いって言われるライダーになることですね。